2010年07月31日

喉に刺さった小骨

喉に何本か小骨が刺さっている。

違和感はないほうがいいに決まっているが、

無理に抜こうとはあまり思わない。

自然に脱落するのを待つ。

違和感も慣れればそう気にはならないものだ。

喉に刺さったままの小骨を飼い慣らし、

一緒に時間を過ごすのも一興かも知れない。  


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2010年07月30日

ノルウェイへの手紙

Dear Vigdis,

Almost 40 years have passed since we stopped exchainging letters…

古い荷物を整理してたら、思いがけず、中学生の頃から二十歳過ぎまで手紙のやり取りをしていたノルウェイの文通友達の手紙が50数通出てきた。

懐かしさのあまり手紙を読み返した。

遥か彼方の地球の裏側にある寒い国に思いを馳せた中学生の頃の気分にしばし浸った。

現在彼女が当時の住所に住んでいるかどうか全く分からない。

宛先不明で返送されて来る可能性は大いに考えられたが、思い切って手紙を書いてみた。

はてさて、40年ぶりのノルウェイへの手紙はどういう運命を辿るのだろうか…。
  


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2010年07月23日

ブログ休載

しばらくブログを休載いたします。  


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2010年07月23日

扇子

扇子を愛用している。

とても気に入ってる扇子がある。以前ある女性に買ってもらったものだ。

着物が好きな彼女に行きつけの呉服屋で手に入れてもらった。

ある夜、とあるバーで偶然彼女に行き逢った。

一人ではなかった。男性を伴っていた。

彼女の仕事柄、それは特別な事ではない。

カウンターに座り、例の扇子を背広の内ポケットから取り出し、一閃した。

と同時に、扇子が中程から真っ二つに裂かれた。

一瞬、彼女との縁が裂かれたような錯覚に捕われた。

真っ二つになった扇子は、今、机の抽斗に仕舞ってある。
  


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2010年07月22日

そこにそっと置いておけ

事態を好転させたい、自分の真意を解って欲しいと思うあまり、

深入りしてしまうことがある。

自分にとり正義であっても相手にとっては煩わしいお節介かも知れない。

最後まで相手の面倒をみる覚悟と責任を負う肚がなければ、

余計な手出しはすべきではない。相手にとっても迷惑だ。

返ってくる言葉、反応で相手との距離と温度差は推し量れる。

力になれればと自分を火中の一人と思いたい心理に駆られるが、

肝心な処で、外野席の無責任な観衆の一人に過ぎないことに気付かされる時がある。

最後まで責任を取る肚がないのなら、余計な手出しは無用だ。

そこにそっと置いておけ。
  


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2010年07月22日

施餓鬼

桐蔭高校東隣の名刹、禅林寺。

20数年前に生れ故郷の田辺市秋津川の万福寺から先祖代々の墓を禅林寺に移し、菩提寺とした。

父が他界して今年で9年になる。

7月20日、その禅林寺で施餓鬼が行われた。

猛暑だった。
高齢の母の身にはこたえる一日だったろう。

低く朗々と本堂に響く8人の僧侶が誦す読経の音に身をあずけていると心地好かった。

隣に座る母はじっと目を閉じ、しきりに数珠をまさぐっている。

外は茹だるような暑さだったが、読経の音が暑気を払い、一服の静寂と清涼が心を落ち着かせてくれる。

飢餓に苦しみ、災いをもたらす鬼や無縁の亡者に施しを与える施餓鬼。

仏の世界には、災いをもたらす者の気を鎮める知恵がある。

言葉が足りなくて災いを大きくしてしまうことが人間世界にはある。

平和がなによりだ。
ちょっと自分を引っ込めればまるく収まるものを、

そうできない自分が腹立たしい。まだまだ未熟者だ。  


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2010年07月20日

無駄足

無駄足を踏まされることほど、不愉快で腹立たしいことはない。

無駄足を踏ますことは、約束を破ることであり、それに向かう人の時間と期待と思いを奪うことだ。

良好な関係の間柄であっても、「奪うこと」に平気な人間に対しては、

それまで温めてきた「熱」が急速に冷める。

裏返せば、こちらが思う程に、相手はこちらを重視していないということなのだろう。

そうした影が見えると、もうダメだ。


もっと許容範囲のある人間に生まれていれば、

鷹揚に許すことが出来るのだろうが、

ある部分において癇癖がキツイ性格なので、それが出来ない。

無駄足を踏まされると、いつも自分の短気な性格も暴露してしまう。  


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2010年07月19日

距離感を間違えたか?

行きつけのバーにサヨナラをしようと思う。

ナニがあった訳でもないが、店との距離感を間違えたかも知れない…

こういう場合は、潔く撤退あるのみ。  


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2010年07月18日

寄り道

仕事の帰り、平和な風景が目の前を通り過ぎる。

夕方の6時過ぎか、サラリーマン風の男性の一団、笑顔で言葉を交わしながら歩くOL風の女性たち。

どれも家路へと駅に向かって歩く。

ここ何年も真っ直ぐ住み処に帰ったことなどないな…

いつも寄り道だ。

寄り道している時間が本当の自分の時間のようにして過ごしてきた。

何かを引きずりながら寄り道することが習い性になってしまっている。

平和な風景に背を向けて生きて来たような気がする。

目の前を通り過ぎる風景に軽いショックを受けた。

「もう戻れない」という思いがあった。

よくよく考えれば、何年もではない。

もっと遥か昔から寄り道ばかりしてきている…。


(タイトルを改題しました。内容に変更はありません)  


Posted by Ric. at 23:00Comments(2)

2010年07月18日

ふじと台イベント無事終了

18日の日曜日、ふじと台お祭り広場のオープニングイベントが行われ、延べ約1000人のお客様に来ていただいた。またマスコミ各社にも取材していただいた。

梅雨が明け、お天気には恵まれたが、猛暑の中たくさんの人に来ていただいて感謝に堪えない。

このお祭り広場を核に今後様々なイベントを行っていきたいと思っている。

25日の日曜日は、恒例のふじと台朝市・フリーマーケットを行う。

いずれにしろオープニングイベントが無事終了してホッとしている。

スタッフ一同真っ黒に日焼けしてしまった(^^)

(写真は、よさこいの夢天翔の踊り)
  


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2010年07月17日

とあるバー付近の住人

お母さん!

ちょっと
はしたない格好(^^)

暑いから仕方ないか(^^)v  


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2010年07月14日

7/18 ふじと台お祭り広場オープン!

和大に隣接するふじと台に建設中だった「ふじと台お祭り広場」がこの程完成。

7月18日(日)、10:00に正式オープンします。

当日は、11:00〜17:00まで歌あり踊りありの楽しいイベントを企画しています。
飲食の出店もあります。

お時間があれば是非お越し下さい。入場無料。
1000台収容の無料大駐車場も完備。

出演者:
・リズム&ソウル・ストリートダンスクラブ(貴志小学校の子供たち)
・夢天翔(よさこい)
・和太鼓(紀北農芸高校和太鼓部) 迫力満点!
・Sugars(おやじバンド)
・大峯しょうじ(FM877・ヘンリー・TONPEI・しょうじのいっぺん聴いてよ、のパーソナリティー)
・フラメンコ(本場スペインのマリベルフラメンコスタジオの皆さん)


当日はお天気もいいようなのでピクニックがてらお出かけされてはどうですか?

スタッフ一同皆さまのお越しをお待ちしております。


「ふじと台お祭り広場」=和歌山市ふじと台西六番丁(和大北隣)=敷地面積約4000坪。音響・照明設備完備の本格的野外ステージを併設した多目的イベントスペース。


(私の本業のPRをさせていただきました(^^))
  


Posted by Ric. at 11:54Comments(10)

2010年07月13日

戦い済んで日が暮れて

W杯も参院選も済んで、

笑った人、泣いた人、悲嘆に暮れた人、新たな希望を持った人などなど、

様々な人間模様が目の前で展開された。

日本の決勝リーグ進出が遠い過去のようにさえ思える。

決勝戦の前日、つまり日曜日の夜、ある店で酒を飲みながら翌早朝のオランダvsスペイン戦の予想を店のスタッフと交わしていた。

テレビでは選挙速報が流れていた。

ある党の元体操選手の立候補者が、逆立ちのパーフォーマンスで選挙運動している映像が流されていた。

そこで、一声飛んだ。

「日本を良くすることとナンの関係あんの!」

声の主は、中年の女性客だった。

客一同無言だったが、誰もが「全くその通り!」と賛意を示していることは明らかだった。

何という乖離!

国民の多くを無言のうちに納得させた日本チームのひた向きな頑張り。

逆立ちパーフォーマンスで国会議員を目指そうとする浅はかな元体操選手。

その元選手を候補者に担ぐ無節操な政党。

同じ戦いでも、

その高潔さ、そのひた向きさ、その真剣さに於て、

日本の政治はサッカー日本チームの足下に遠く及ばない。

元体操選手は落選した。当然の報いだ。

あの女性客の一声は、良識ある日本国民の声だ。  


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2010年07月12日

とあるバー周辺

いつも寄る、とあるバーが入っているビルの一階駐車場付近に、

時折、親子の猫チャンがたむろしている。

母猫は油断なく周囲に警戒の目を配っているが、

仔猫たちは母親の心配などどこ吹く風。

車が往来する道路を横切ったり、仔猫同士でじゃれ合ったりと無邪気そのもの。

近所に住む人たちも、そっと餌をあげたりこの界隈の猫族には優しく寛大だ。

猫チャンたちも大らかに生きている風情がある。

時折出合うと母さん猫に話し掛ける。最近チョッと気を許してくれているかな…。

仔猫たちはまだ乳離れしていない。

母親の乳首をチューチュー吸う光景は微笑ましい。

さして体は大きくない母猫だが、お乳を吸わせている姿には母親の貫禄がある。

猫チャンの世界も
母は強しだ(^^)

(2匹の仔猫が母親のお乳を吸っている。余り近づくと逃げてしまうので離れた所からパシャ!その分ピンボケ。お許しあれ)
  


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2010年07月11日

カンドウよサヨ〜ナラ

会話でも文章でも殆んど使わない言葉に、「感動」がある。

敢えて使用を避けていると言った方が正しい。

みんなカンドウに飢えているらしい。

この世はカンドウではち切れんばかりだ。

カンドウ ヲ アリガトー
カンドウ ト ユウキ ヲ イタダキマシタ
カンドウ ヲ アタエル ヒト ニ ナリタイ
……
口を開けば、カンドウ、カンドウ……
チョッと異常現象だね。

感動なんて道の石コロみたいにアチコチに転がっていないんじゃないか…。

受信機のワルイ人間ほどクダラナイ電波を拾ってアンチョコにカンドウする。

そんなにカンドウしたいの?ッて聞きたいくらいだ。

一山ナンボのカンドウは町のアチコチに溢れている。

カンドウばかり食ってると、その内に満腹中枢が破壊されて、

腹の底から感動できなくなるんじゃないか…。

カンドウよサヨ〜ナラだ。
  


Posted by Ric. at 18:23Comments(6)

2010年07月11日

「檸檬」ほか

遥か昔に読んだ記憶はあるが…

何故かしらこのところ
梶井基次郎が頭から離れない。


外は雨だし
その正体を探ってみるか…

ちくま日本文学
「梶井基次郎」  


Posted by Ric. at 12:58Comments(0)

2010年07月10日

どうしようもないこと

を幾つか抱えている。

直ぐに解決できる事柄ではない。早く解決して楽になりたいと思うことがある。

だが中身が生煮えでしばらく胸の内に仕舞い、苦吟しなければならない。

自分に非があるから苦しむのは当然だ。

内に仕舞い続け、水分が無くなりカラカラと乾いた音が鳴るところまで持ち続けられればいいのだが…

それまでは酒でも飲みながら、日常にまぎれつつ時間を稼がねばならない。  


Posted by Ric. at 23:42Comments(8)

2010年07月09日

暑いなぁ〜

大新公園
お地蔵さんの主、

はーちゃん。

ややダウン気味…(^^)  


Posted by Ric. at 07:32Comments(2)

2010年07月08日

空気のように…

多弁ではない。

沈黙も苦手ではない。

言葉を放棄し、
人の言葉に挑発されず、

ただ無害な空気のようにその場に存在できればいい…

と思いつついつもバーのカウンターに座っている。

酒を飲むというよりも、
一日の締めくくりにカウンターに座っていると言った方が正しいか…。

行きつけの店のドアを開け中に入ると、ホッとする。

誰を待つでもない。
何を話すわけでもない。

ただじっとカウンターに座り、沈静がやって来るのを迎えるだけ…

とあるバーが、ますます掛けがえのない存在に思えてくる。  


Posted by Ric. at 16:48Comments(2)

2010年07月07日

本気

不倫は社会的常識からいって糾弾される対象になるだろう。

だが一皮めくれば、社会的常識の範疇で生きている人間は少ない。

男が女を、女が男を好きになるのは、社会的常識に照らし合わせてのことではない。

結婚している相手を好きになることを誰もとがめられないし、自然だ。

問題になるのは、生煮えの状態でそのものが食卓に出された場合だ。

ちゃんと調理された料理なら、そこには人を納得させる"何モノ"かがある。

要は、本気であるかどうかだ。

双方が本気であれば、世間の常識を錦の御旗のように振りかざす付和雷同の輩の声ははね返せる。

だが、生煮えにはいつか破綻が来る。

覚悟と本気が、孤塁を守る二人の唯一の力なのだ。  


Posted by Ric. at 22:40Comments(2)